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  清助溝 って知っているかな!

 川をせき止める井せきの事を普通「いね」と呼び、用水路の事は「みぞ」または「いねみぞ」、
そこを流れる水の事を「いね水」といってな、米作りをする人にとってはとっても重要な施設
なんじゃwa!

1820年ごろ苗代生まれの「上田清助」と言う人が、このあたりの水が不便なことを悲しんで
用水路を作ることを二箇村の人に相談したんじゃ
 ところが、村人は「土地が川より高いから水は来ないだろう!」と言って賛成する人はいなかった。

 そこで、清助さんは「できなかったら、私の首をさしあげましょう」と言って一人で測量を始めたんじゃわ。夜になると、清助の妻が提灯を立てて測量を手伝い、長い間苦労して、 実際に水が流れることを証明したんじゃな。

 そこで村人15歳から60歳の者が総出で溝掘りして、ついに完成させたんじゃな。久次村の外れから二箇を通り苗代のしもまで、長い長い手掘り水路なんじゃわ!

今では稲を育てるのに、なくてはならない水路なんじゃ!

偉人「上田清助さん」は1829年に亡くなった。今では「清助溝」または「首掛け溝」と言っておる。

 それから、二箇.苗代地区はそれからお米が沢山とれて裕福になったんだって!。
この地で収穫されたお米は、月ノ輪田にちなんで月ノ輪米と呼んどる。

 そして、苗代 日吉神社の石段には「上田清助」の名が刻まれとるらしい。

又、二箇から苗代地区に行く道中には老人会寄贈の記念碑が立つとるよ!感謝!感謝!
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